日本キリスト教団  札幌グッドアワー教会

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教会のビジョン教会の沿革牧師紹介あなたへのメッセージ


西森 昌二(にしもり しょうじ)

1961年生まれ。

モットーは、
@愛のために馬鹿となれるものであれ。
Aこの人生はもうけものの人生、精一杯神と人のために生きよ。
B神が造られた尊い一人一人の中にある宝を見出して生きよ。

家族は、妻と子供3人


小冊子「救いの証し」より―はじめに―

 この証は、わたしが21歳、大学1年生の時に書いたものです。クリスチャンになってから1年
4カ月がたっていました。大学に入学した私は、大学寮に入るなら神様の愛を伝える機会が増
えると思い、入寮しました。出来るだけ皆にイエスキリストの愛と救いを語ろうと努力しました。
廊下を歩きながらも賛美歌を歌い、食事のときには声を出して寮生全員の祝福のために周り
にいる方々に聞こえるように祈りました。しかし、そこは自治寮であり多くのしきたりがありまし
た。また複数部屋で、同室の先輩に合わせなくてはなりませんでした。

大学寮は、コンパの連続でした。新入生は吐くまで飲まされます。少々いじめのようなところも
ありました。また、賭けマージャンが毎日のように行われていました。それらの仲間にならない
と、寮では人間関係を作るのが難しいのです。私は、神様の前にお酒に酔い潰れることや賭
け事をすることは罪であると知っていたので、そのような関りからは身を引きました。また、そ
れゆえに先輩らに反感を持たれました。しかし、きちんと自分の心を説明して自分の信念を曲
げることは決してしませんでした。

寮生にとって決して欠席してはならないコンパが卒寮生を送る「追いコン」です。私は、卒寮生
に礼儀は尽くしたいと思いながらも、コンパに出ることは自分にとって先輩らを送ることにはな
らないと考え、欠席することにしました。でも、その代わりに、イエスキリストの救いを知ってもら
いたいと願い、卒寮生全員に自分の人生と救いの証を送ることにしたのです。

以下が、その証の全文です。今から約18年前の文章です。私の救いについて知って頂くため
には、最も良い文章だと思います。この証しをお読みになるあなたに、少しでもイエスキリスト
の恵みが伝わることを願っています。



2001年2月18日 教会5周年を記念して
日本キリスト教団札幌グッドアワー教会
牧師  西森昌二


 僕は寮に入ってから、今まで悩んで来ました。また、いろいろな迷惑を寮生の皆さんにかけて
きたと思います。以前の僕は、お酒に酔った事もありました。毎日のようにパチンコ屋に通った
こともありました。ある面でお人良しで、皆にあわせて敵を作らないように、人に悪く思われない
ようにと生きて来ました。今でも弱く、すぐ人を恐れてしまう事の多い僕ですが、昔はもっと弱い
人間でした。

 僕は、3人兄弟の次男として生まれました。小さい頃から中学3年生になるまで、東釧路の鉄
道官舎に住んでいました。母は忍耐強く、とてもやさしい人でした。父は人は良いのですがギャ
ンブル好きで、いつも賭け事をして家に帰ってくるのは週3日ぐらいでした。母は心労が激しく
病弱になり、いつも悲しそうでした。そして家庭内で争いが絶えませんでした。僕が小学校低学
年の時、兄を残し母が僕を連れて家を出ようとしたこともありました。父がギャンブルで借金を
作っては、母がやりくりをして苦しい生活をしていました。そんな日が続きました。そして、中学
校に行くようになると、兄も僕もだんだんと父に対して反感を持つようになって行きました。特に
兄は父に口を聞くこともせず、とても反抗的になりました。東釧路の鉄道官舎(もう取り壊され
ました)の僕たちが住んでいたところは、6畳2間しかなく、5人が寝るには狭いので、中学一年
生の頃から僕は、本当は物置に使っていた2畳の部屋に寝ることになりました。この官舎は、
木造でとても古いので、ただでも寒かったのですが、僕の寝る所は更に寒く、外と全く温度が変
わらないようなところでした。冬になるとマイナス20度以下にもなるようなところに寝ていまし
た。そして、そんなところで二年間も寝ていたせいか、中学三年生の春頃に、おしりに出来物
がたくさん出てきました。僕はとても不安になり、何故そんなものが出来たのかと自分で調べて
みると、痔だということが分かりました。しかし、家の中では争いが絶えず、心配をかけたくない
という気持ちと、言いずらさがあり、隠していました。しかし、痔という病気は放っておくと大変な
ことになると知り、いつも心の中には不安がありました。

 また、中学校時代の僕は、家族のことに大きな劣等感を持っていました。家に友だちを連れ
て来る事も全くありませんでした。学校の中では明るく振舞いましたが、心の中では寂しさで一
杯でした。本当の友人もいませんでした。父は依然としてギャンブルをやめることが出来ませ
ん。家庭はとても暗かったのです。そして、自分は何故こんなに苦しまなければならないのか
と、いろいろ悩みました。

 痔の方は、高校に入ると出来物も取れ、一見直ったように見えました。しかしあとからだんだ
んと悪化していることがわかってきました。それは、肛門に弾力がなくなり便が出にくくなりまし
た。また、耳鳴りがして、体がとてもだるくなってきたのです。家に帰ると、病気のことや父のこ
とでいつも悩んでいました。そしてその頃、父がかなりのお金をギャンブルで使い借金をしたこ
とが明るみになりました。親戚中の人が皆家に集って話し合い、離婚した方がいいんじゃない
かという声も出てきました。兄は1人で部屋に閉じこもって話し合いに参加しません。僕は、「離
婚したら7歳年下の弟がかわいそうだし、僕は、父がギャンブルから足を洗って改心してほし
い。離婚はしないでほしい。」と言いました。そして、離婚はしないことになりました。父は、ギャ
ンブルをして帰って来たときにはやめると言いますが、すぐに同じ罪を犯してしまう、その繰り
返しでした。この時も、少しするとギャンブルに行くようになってしまいました。いろいろな汚い人
間関係があり、なかなか足を洗うことが出来ないようでした。僕はそんななかで、自分の病気
のことも言えず、家にいるとまた争いが起こるのではないのか、病気が取り返しのつかないこ
とになるのではないかと、いつも恐れを持っていました。また、いろいろな劣等感や悩みがたく
さんありました。

 1980年、高校3年生の1月、僕は、共通一次試験を受けました。しかし、そのすぐ後に父が
蒸発してしまいました。また、何百万もの借金をして、たくさんのサラ金からお金を借りて、どう
しょうもならなくなり、消えてしまったのです。母はショックもあって寝込んでしまいました。その
頃兄は、就職して実家にはいませんでした。僕と弟と母は困り果ててしまいました。親戚の人た
ちからも、何度もこのような事件を起こすので見離されてしまいました。そして毎日のようにサ
ラ金から催促の電話や訳のわからない電話がかかってきました。そして、もう少しで仕事もくび
になるところで父が帰って来ました。職場の人の仲介で、苦しみの中話し合いました。僕は、も
う一度でもこんなことがあったら母と弟と3人で、僕が働いて暮らすと言いました。母は「父さん
も苦しんでいるのだし、父さんだけが全て悪いのではないから、離婚することは、父さんにも私
たちにもよい道ではないから、父さんが本当にギャンブルから手を引いてくれるのが一番で
す。」と言い、結局もう一度だけやり直すことになりました。父が借金を返すこと、ギャンブル仲
間と手を切ること、生活を変えること等、家の中で、職場で、非常にたくさんの戦いがありまし
た。やっと父はギャンブルから手を引くようになりました。

 その頃僕は一浪中で日糧パンに勤めながら家で勉強していました。しかし、だんだんと痔の
方は悪くなり、10月頃になると受験の精神的な圧迫の影響もあったのでしょうか、耳鳴りがし
て、体が疲れ、非常にひどい状態になりました。それでも母には言いずらく、隠していました。な
んとか出来ないかと、新聞の広告に出ているひさや大黒堂というところに、痔の薬を注文しま
た。しかし、その薬を付けてもあまり良くなりません。このような状態が続き、勉強もうまく行か
ず、結局また、大学に落ちてしまいました。(家族の経済状態ゆえ、国立大学1校しか受験出
来ませんでした。)でも、このまま就職することに耐えられず、病気のこと等、全てのことを父・
母に告白し、「あと一年間だけ、札幌に行って1人で勉強したい。今度受験に失敗したら就職し
ます。」と頼みました。そして話し合った結果、一年だけ札幌で勉強することを許してもらいまし
た。そして、僕のアルバイトの貯蓄と札幌でのバイトと家からの少しの仕送りで、札幌で暮らす
ことになりました。家の経済的な理由から、予備校には行きませんでした。

 高校時代の友人に札幌の安い部屋を探してもらいました。しかし後から分かったことですが、
その部屋は、薄野の近くにあり、回りには暴力団の人、水商売の人ばかりが住んでいるみた
いでした。夜中になるといつも、パトカーのサイレンの音や、酔っぱらいの声が聞こえてきまし
た。そんななかではじめは思うように勉強も出来ませんでした。そして、友達に誘われてパチン
コをしたり、お酒を飲んで酔ったりしたこともありました。痔の方は、薬を付けてもあまり良くは
なりませんでした。ある面で、親思いでまじめのように思われていた自分でしたが、家族を思い
やる気持ちは少ししかありませんでした。アルバイトもあまりせずだらだらした生活をしていま
た。毎日のようにパチンコ屋に通ったこともありました。しかし心の中は、恐れ、寂しさのかたま
りで、昔の友達に会うのを恐れるような気持ちもありました。

 共通一次試験も近づいた1981年11月20日に、僕はH君という友達を通して、Y君というク
リスチャンの学生の家に行きました。H君はY君から聞いたイエスキリストについての話しをよく
しました。しかし僕は相手にせずにつっぱねていました。この日もY君からイエスキリストの話を
聞かされ、はじめのうちは反論ばかりしていました。でも思いもよらず、この日僕の心に大きな
変化がもたらされたのです。

 Y君は『神は、この世の全てのものを、そして人間を創られました。人間に自由な意志を与
え、神と愛し合うことが、人間同士愛し合うことが出来るようにされました。しかし人間は神から
離れ、自分勝手に罪の道を歩き出しました。それによって、罪・苦しみ・死・争い・憎しみ合い・
殺し合いなどがこの世に入って来ました。人間は生きる目的を知らずに、迷い傷つけ合いなが
ら、苦しみの道を歩くようになりました。

 しかし、神は愛なればこそ、人間を死・苦しみ・罪から救うために、私たち一人一人のため
に、イエスキリストをこの世に送られました。目に見えない神が私たちに神の愛を現わすため
に、罪からの解放と、本当人生の目的、救い、永遠の命を与えるために、人間となってこの世
に来られた方がイエスキリストです。神自ら、わたしたのところに来て下さったのです。そして多
くの人々にイエスキリストは罪からの悔い改めを説き、赦し、なぐさめ、いやし、愛と信仰と希望
を与えました。そして全ての人の罪を背負い、自ら進んで十字架の苦しみを、私たち一人一人
のために耐え忍ばれました。命を投げ出すほどの私たちへの愛を十字架を通して現わして下
さいました。この十字架の苦しみ以外、私たちの罪を赦し救う道はなかったのです。そしてキリ
ストは預言通り三日目によみがえりました。


 この事実を信じ、罪を悔い改めて、心を開き、イエスキリストの愛を受け入れるなら、本当の
人生の意味、真理、愛が与えられます。』と話しました。

 しかし僕は、心を閉じて理屈をいろいろとつけて反論しました。Y君は『神は僕たちをはるかに
超えた、愛・知識・力をお持ちの方だから、人間が神を理解しようとするのは、ちょうど赤ちゃん
が大人を理解しょうとするようなものです。』とも言いました。

 いろいろと話しているとき、急に僕の肩を押す力を感じました。誰もいないのに、確かに誰か
がさわったように感じたのです。その瞬間から僕の心の中に大きな変化が起こりました。Y君
の心の中に信仰というものが見つけられました。自分が罪を犯し続けてきたこと、自分が罪人
であることに気付かされました。同時に、今までの自分の人生に、社会に、本当の真理、正義
はなかった。本当に自分を理解し受け入れてくれる人はいなかった。本当の愛、真理があるな
らば、受け入れたい、知りたい、求めたい、という心になったのです。
その日から「神は神を求める者に必ず答えて下さる。心から罪を悔い改めて、一つ一つの罪を
告白して祈るなら、罪は赦されて、本当の喜び・愛・真理・生きる目的が与えられる。」という聖
書の約束に従って毎日祈りました。『イエスキリストが僕の罪を背負って十字架にかかって死ん
で、三日目によみがえったことが真理ならば、僕にそのことを教えて下さい。罪を赦し清めて下
さい。本当の生きる目的、真理を与えて下さい。愛を与えて下さい。』と祈り続けて5日目に、イ
エスキリストの赦しと愛を深く体験しました。救われたことを知りました。

 次の日曜日から十二使徒教会という自分の家の近くの教会へ行くようになりました。その教
会は薄野のそばにあったこともあり、薄野で罪に溺れて悩んでいた人・暴走族・失業中の人・
自殺を考えていた人・そのような本当に苦しみ、悩み、問題をかかえていた人が、イエスキリス
トの愛によって変えられ、助け合いながら喜びをもって生きていたのです。

 僕も、苦しみ・悩み・問題をたくさん持っていました。しかし、イエスキリストが全ての僕の苦し
みを代わりに背負っていてくれたことを知りました。そして本当の喜びを知りました。洗礼を受
けクリスチャンとしての歩みを始めました。イエスキリストに従ってこれから多くの人に神の愛を
伝えたいと心から願うようになりました。イエスキリストが多くの人を愛したように、多くの人を愛
したいと願っています。

 大学に入学し、寮に入って、たくさんの人にイエスキリストを伝えたいと願って来ました。しか
し、僕自身あらゆる面で至らなく、また、愛が足りなく、多くの人に迷惑をかけてきました。ま
た、イエスキリストは人を不幸にする罪を憎まれました。しかしいろいろな面で僕は妥協してき
ました。また、僕自身も罪を犯して来ました。寮に入って恐れの気持ちをいつも持っていまし
た。特にコンパのことについてどのようにしたら良いのか悩みました。お酒に酔い、その中で関
係を作ることはよくないことであるイエスキリストは言っています。コンパに出ることは、自分に
とってただ無駄な時間を過ごしていることにしかならないのではないかとも考えました。そして
恐れが先立って皆さんに、いやな思いをさせたことも多かったと思います。

 僕はイエスキリストに従いたいのです。僕のために命を捨てた方に従いたいのです。ただコ
ンパに出て、お酒を飲まずに、みんなが酔っぱらって吐いている姿を見ていることは、僕にはと
てもつらいのです。本当に皆にイエスキリストを知ってほしいというのが僕の願いです。イエス
キリストの願いです。

 今日追いコンがありますが、ただコンパに出ることは僕にとって卒寮生を送ることにならず、
悲しいことです。出来れば追いコンがあってほしくありません。みんなで酔っぱらって吐いて送
る会ならば、ない方が良いと思います。僕はいろいろと考えましたが、追いコンに出ないように
しようと思います。卒寮生を送る意味で、今までの自分の人生の証を書かせて頂きます。


1983年3月5日    西中3室  西森昌二

―あとがき―


この文章を読んだ数名の先輩らが、心を開いて私に対してひどい態度をしてきたことを謝って
来られました。また、寮生の中から数名の方が教会に来られました。後日、教会で結婚式を挙
げられ、その後も続けて教会に来られた方もいらっしゃいます。一人の方は受洗しました。不
十分な弱き私でありましたが、神様は全てを益として下さり、福音を伝えさせて下さいました。
振り返るとき、感謝が溢れて来ます。

その後、今日に至るまで、私は神様の愛と癒しを体験し続けています。振り返ると、本当に「儲
け物の人生」でした。絶望の人生を歩まざるを得なかった私が、喜びと感謝の人生を頂いたの
です。感謝を話し出すなら、尽きることがありません。今日も私の心に希望が溢れています。

今の私の心の祈りは『神様、この証を読む全て方の重荷を担い、あなたの愛と平和と救いを
与えて下さい。』です。この証をお読みになり心を開かれる方がいらっしゃるなら、19年前の私
のように神様の前に『イエスキリストが私の罪を背負って十字架にかかって死んで、三日目に
よみがえったことが真理ならば、私にそのことを教えて下さい。罪を赦し清めて下さい。心にあ
なたの愛と平和を満たして下さい。心を癒してさい。本当の生きる目的、真理を与えて下さ
い。』と自分の言葉で素直に祈ってみて下さい。神様は必ず求め続けるあなたに、大いなる愛
と救いを与えて下さいます。

聖書やキリスト教に、ご興味のある方はお気軽にお問い合わせ下さい。喫茶グッドアワーで、
コーヒーを飲みながら語り合えるときを楽しみにしています。

―― あなたへの大いなる神様の祝福を祈りつつ ――

日本キリスト教団 札幌グッドアワー教会

牧師 西森 昌二